医学生のお勉強

By 東海大学医学部長・黒川清とゆかいな仲間たち
Chapter6:医療経済The 42nd week

昨今の医療費自己負担の増加等の議論を聞いていると
いかに医療制度の本質に関わる論点が抜けているかが、
よく理解されるのではないでしょうか

セッションのオリジナルタイトル/Healthcare System and Healthcare Economy

不摂生な人の医療費もみんなのお金で払っている

井伊:

医療は普通の財やサービス、つまり洋服や美容院でのサービスなどと違って情報の非対称性があって、手術の仕方がいいとか、治療法がいいとかは患者はわからないわけですよね。そういう情報をお医者さんは患者より持ってる。だから患者は「正しい選択ができない」と言ってるんですが、でも自分の命にかかわることだからある程度は勉強すると思うし、歯科のレベルだったら実際いろいろと調べたりしますよね。

黒川清

上級生:

教養のレベルが高い人はインターネットでどんどん調べてきて、英語が堪能な人は世界中のサイトを見てきて、患者さんから矢継ぎ早にどんどん質問されるんですよ。わかる人はわかってきてる。
 例えば肝硬変の人がいて、血小板の数が減っちゃって、このままいったら血を吐いて死んじゃうかもしれないというとき、血小板を輸血する。最初は保険点数で「輸血は何回まで」と言われるんですが、到底それでは持ちこたえられないから、あとはどんどん大学側が払ってるわけですよね。自由診療みたいに「いくらお金をかけてもいいです」というのであれば、いくらでもできると思うんですが、「輸血は5回までしかできません」というオプションだったら、「あなたは6回目はできませんから血小板が減って血を吐いて死んでしまうかもしれない」という事態が起こる可能性がありますよね。

――:
さっき、混合診療を医師会が猛烈に反対してるとおっしゃってましたが、その理由として医者が自由診療、高い診療をすすめてしまうからですか?
井伊:
医師会が反対しているのは、自由診療を認めたり自己負担を高くすると、患者さんが来なくなっちゃうからというのがあるんじゃないのかな。今は保険診療でほとんどカバーされているから自己負担が少ない。でもそれを自由に認めてしまうと、ある意味で競争が起きて患者さんが減ってしまう。
 もう故人ですが武見太郎っていう長い間医師会会長だったお医者さんが、「自分は保険診療はやらない。自分のような経験のある医者と医学部出たての研修医と同じ値段ではかられるというのは反対だ」と言ったという有名な話がありますが、そういう意識を持っているならば、医師会の本音はやはり混合診療で患者さんが減ってしまうということで反対しているのでは。
上級生:
自由競争になってしまうといやがる人たちがでてくる。
井伊:
厚生省は「医療費が上がるから」と言っているけれど、私はそれはかまわないと思うんですよ。すべて保険でカバーしようというところにいろいろ問題がある。
 なんで保険があるのかというと、不慮の事故とか病気になってしまったときのリスクを分散するため。それが保険の役割で医療には欠かせないものなんですけど、それがあまり良すぎてしまうとモラルハザードが起きる。日本の公的保険制度は良すぎてしまうので、そこが問題。
上級生:
私もクラークシップで患者さんを診ていたときに思ったんですけど、例えば糖尿病をずっと放置しておいて腎臓がやられてしまうと透析になるんですが、透析はすごくお金がかかるんですけど、それは保険でカバーされてしまうんですね。だけどその人たちがもし摂生をしたり、運動したり、薬を飲んでいれば、そこまでやらなくてもよかったのかもしれない。あるいはすごくタバコを吸って肺がんになった人は手術しなければならない。その後もリンパ節への転移があるかもしれないから化学療法をしなければならない。そうすると1カ月から2カ月ぐらい休まなければいけないかもしれない。必ずしもすべての肺がんがタバコと関係があるわけじゃないんですけど、その人がもし早いうちからタバコをやめていたら、タバコと相関性のあるがんの発症を抑えることはできるわけですよ。
 そういう医療費も皆保険ですべてまかなわれるわけだから、もうちょっと国民や患者側の意識が高まれば抑えられた医療費なんですよね。ですから今のままでいけばどんどんお金がかかってしまいますけど、アメリカまではいかないにしても、「あなたはこのままいったら腎不全になって、もし透析になったら一部は自己負担ですよ」とか「お酒を飲み過ぎて肝臓をこわしたら、かなりの部分が自己負担ですよ」という、そういうスタンスは必要なんじゃないかなと。
井伊:
生活習慣病といわれているのは糖尿病とか高血圧かな? これから高齢者が増えると、生活習慣病は年を取ると増える病気だから、そうした病気を予防することによって保険料が安くなるとか、そういうインセンティブをつけるような保険改革をするべきじゃないかと言ったら、友人の医者が「生活習慣病という名前がよくない」って言うんです。それに「医者の立場からしたら本当に気をつけていても全然検査値がよくならない人もいれば、全然気をつけていなくても正常値の人もいるから、医療は難しいところがあるんだ」とも言うんですけど。そうかな?
――:
遺伝的バックグラウンドがみんな違うから、その話は医学的に十分にありえると思います。生活習慣病になりやすい人と、そうでない人が同じだけ努力をしても、結果が同じように数値に反映しないこともあると思うから、その努力を画一的に保険に組み込むと、おかしくなってしまう。
――:
わりと豊かな人の話を私たちはしているような気がします。今、日本で低所得者はいないとかいいますが、そっちに目を向けたら、今みたいな議論が成り立つのかな? って。
井伊:
ある程度所得に応じて、というのは必要ですね。でも明らかに国民皆保険ができた40年前に比べたら所得が増えているので、もう少しインセンティブのある制度にするべきではないかな。
 介護保険の制度もインセンティブを考えない制度だとよく言われていて、それはどういう意味かというと、お年寄りが一生懸命努力して自分で身のまわりのことをできるようになると介護を減らされてしまう。一生懸命努力することによる見返りで保険料が減るとか、そういう保険料を増やす減らす以外にもいろいろインセンティブのつけ方はあると思うんですが、今は寝たきりから自分で食べられるようになると介護が減ってしまって、逆におばあちゃんが完全に寝たきりになってくれれば、一緒に住んでる人たちも一番手厚い介護が受けられる、となってしまうんですね。
 医療保険にも「自分で予防しよう」とか、「自分で健康には責任を持とう」というインセンティブがあまりにもない。これは需要側のインセンティブの問題ですが、ここにいるみんなは将来供給者側になりますね。お医者さんのほうも一生懸命勉強していいお医者さんになろうというモラルはあっても、インセンティブに欠ける制度です。ただあまり競争が激しくなって行き着いたところがアメリカの・・・それもまたね。
 あまりお金、お金というと、「経済学者は心が冷たい人だ」とか思われるんですが、やっぱり人間ってモラルだけに訴えるということはなかなか無理な話で、ある程度金銭的なインセンティブを与える、ということが非常に重要です。人々の行動を変えるときに、法律で「これはいけない」と規制を作るのではなく、経済学者は医療を良くするために、みんなのインセンティブを引き出すような制度を工夫することを考えています。

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