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医学生のお勉強
「生活習慣病」を文明と生活という観点から考えると
おのずと対策が見えてくるというものです。
セッションのオリジナルタイトル/Hypertension, Salt, and Kiney: How and Why
「サラリー」はローマ人が兵隊に与えた「岩塩」
- 黒川:
人間の食生活で「食塩をいかに確保するか」ということはすごく大事だったわけです。特に近代文明が一番最初に起こったメソポタミア、チグリス・ユーフラテス川にかけて農耕が始まり、その頃は食塩の量なんて計れないし、何に塩が入っているかみんなわからないし、細胞外液が0.9%のNaClなんて誰も知らない。だから草食動物じゃないけど、食塩をいかに確保するかということは歴史的に知っているわけ。そして少しずつ自然生活から離れていって、農耕民族がでてきたのがたぶん1万2000年ぐらい前だけど、初めて麦とか穀物を食べるようになって、でんぷんを摂取するようになってきた。その頃に少し生活に余裕ができたようで、いろいろな遺跡を見ればそれがわかる。そのときも自然の食材でカロリーの原料だけは確保したんだけど、食塩は自然にはない。その後進んだ文明っていうのはだんだんヨーロッパに移った。ヨーロッパでは何が問題になるかというと、大きな大陸で海からも離れているから、いかに塩を確保するかが問題だった。アフリカのエチオピアの山の上の人たちは、塩の固まってるところまでキャラバンで行って塩を切り出して、また戻ってくるっていうの知らない? テレビで見たことあるでしょ。塩がないから塩が固まっているところまで取りに行って、帰ってきて売るわけ。お塩は商売になる。日本も専売公社というのがあったでしょう。
塩がいかに大事かというのは例えば上杉謙信の「敵に塩を送る」とか、ガンジーの「塩のマーチ」とか、ローマ人がローマの都を作ったときに、海の近くで塩を作って都に持ってくるための「塩の道」という「Via Salaria」を最初に作ったことからもわかる。ヨーロッパみたいに大きな大陸で海から離れているところは海から塩を運ぶ。岩塩を偶然に見つければ、そこの町はすごく栄えるわけ。塩を運ぶことが町と町をつなぐ主要な交易の道路になるから、ヨーロッパの街道はだいたい塩を運ぶ交通路から始まる。塩にちなんだ名前もあるね。ザルツブルクなんかは「塩の町」という意味でしょう。郊外に「塩抗」があって観光の名所になっているんだけど、モーツァルトの生まれた町として有名だけど、すでに2000年くらい前に岩塩ですごく栄えていた。日本では「塩尻」って長野にあるね。内陸で塩がない。だから海で作った塩を運んでそこに貯めていた。「塩釜」は仙台のほうにあるけど、海の水を釜ゆでにして塩を作っていたということからきた地名だね。ルイ14世みたいな人でさえも塩を確保するために、今でもあるけどフランスの真ん中にお城みたいな製塩所を作った。塩は海水をだんだん煮詰めて作っていくんだけど、木をたくさん燃やさなくちゃならない。北欧なんかでは大変なんだよね。暑くないからどんどん木を切らなくちゃならない。それよりは岩塩を運ぶほうが安いから交易路ができた、ということです。
今の食卓塩の入れ物は胡椒とセットになっていて、銀とかクリスタルでできている高いものがある。それにみんな安い塩を入れている。これは西洋文化の伝統では胡椒と塩がいかに貴重品だったかということの名残りだよ。胡椒はアラビア経由で運ばれたわけでしょ。それと同じぐらい塩は大事だった。食卓塩を食べられる人はすごい金持ちや貴族だった。17世紀の北欧の貴族もバイキングの頃はすごい特権階級だから、すばらしい容器に食卓塩が入れてあってさ、リッチな気分を味わっていた。その頃はお金持ちは1日に50、60グラムくらいも食塩を摂っていたらしい。「リッチだ、リッチだ」と言って塩をなめてるから、すごくのどが渇く。だから寝室に水瓶が置いてあって夜中に水を飲んでいた、という文献もある。文明が発達して初めて塩が十分摂れるようになると、塩の味に慣れてそれがおいしいから、たくさん摂るのが普通になってきた。今みたいに塩をたくさん食べているというのは塩が安くなってきたからです。もう一つは塩が安くなったから味付けのほかに、食料を保存するということにも使い始めた。食料の保存に塩を使ってもペイするようになってきたわけ。
わかった? 食塩っていうのは大事なんだよ。だからね、昔は岩塩はすごく貴重品だから、塩という資源を支配者は必ずコントロールしようとするんですよ。だから日本では「専売公社」を作ったわけ。岩塩をお金に使うわけですよ。「サラリー」という言葉も「サラリウム」といってローマ時代の兵隊さんにサラリーとして岩塩をあげた、そういう意味から来てるんだよ。いい?
ここまで質問ない?
さてそこで僕らの体はね、今言ったように陸上の生物だから、常に食塩が少ないところで適応できるように調節系の遺伝子が仕組まれているわけ。西洋の近代文明社会でも、ルイ14世の頃でさえも塩は貴重品で庶民は十分に食べられなかったわけ。ルイ14世の頃は塩の利権の取り合いだったみたいだし、日本でも江戸末期の赤穂浪士の話だって「赤穂の塩」って、元々は塩の利権が絡んでいたんですよ。ということは普通の庶民が、かなり広い分野で食塩を比較的自由に安く使えて、食べられるようになったのは、ごく最近の話なんだ。たぶんヨーロッパで数百年。だから日本だと庶民の生活で塩が安く食べられるようになったのは、江戸末期からだから200年くらいだろうな。それぐらいの歴史ですよ。200年から400年ぐらいで遺伝子がそんなに変わるわけがないから、僕らの体は食塩が少ないときには強いけど、食塩が多いときには不利という、今の食文化ではアンバランスな状況なんです。
仲間たちの横顔 FILE No.15
Profile
私は理工学部を卒業後、医療機器の会社に就職しエンジニアとして医療現場で働いておりました。医療機器開発も興味深い仕事でしたが、入院している患者さんを目の前で見ておりますと、”病んでいる人にこそ協力することが実は人生で最も尊いことではないか”と感じ医学部進学を決断しました。学生時代、医学部進学を考える機会は色々とありましたが、社会人を経てから医学の勉強をはじめたことは私にとって非常に有意義であったと感じています。そして、これは私の人生をかけたとても大きな挑戦です。昨年は、東海大学の交換留学プログラムで6ヶ月間、米国に留学させて頂きました。米国の医学教育が非常に素晴らしいこと、そして日本が世界標準から取り残されているような危機感を感じました。その体験をできる範囲でフィードバックしたいと考えています。
Message
何回かこの講義に参加させて頂きました。今回、討論されたテーマについて、日頃から疑問に思っていたからです。本来であれば、2年間の臨床実習の間に討論されるべき内容だと思いますが、そのような機会にあまり恵まれず、宿題を抱えていたような気がしていました。
討論を通して黒川先生が強く訴えておられたのは”日本の常識・世界の非常識”と”グローバルスタンダード”ではなかったかと思っています。討論に正解はなく、社会の変化と共に求められる回答は変わってくると思います。今回取り上げられたテーマは、問題山積の医療現場のほんの一部であり、その捉え方を紹介して頂いたものと思っております。今後、絶えず問題意識をもって医療に携わっていきたいと思います。
最後に、討論に参加させて頂いた黒川先生と3年生の皆さん、本当に有難うございました。この場を借りて心からお礼申し上げます。
