医学生のお勉強

By 東海大学医学部長・黒川清とゆかいな仲間たち
chapter1 安楽死The 8th week

死を待つ患者さん達にとって、医師は何ができるのか
どのような役割が期待されているのでしょうか

セッションのオリジナルタイトル/The End of Life and Euthanasia

「安楽死」を認めた国オランダ。その背景にある日本社会との違い

黒川:
黒川清というわけで、今日は「安楽死」の話だけど、オランダは安楽死についてはちょっと積極的だった。これが法律になったのは、1、2ヵ月前だよ、たぶん。それで今日持ってきた資料は、一つはオランダの安楽死。この人は法律化されてから死んだ人なんだな。この人の本。最初に話をしたけどこの人がオランダ人と文通していて、初めて会ったときにお互いに一目ぼれした。御主人が書いているのがいいんだけど「靖子さんと私は一体だ。この2人は死んでからも分けられない」っていうのがあってすごいよね、嬉しいよね。これ読んでごらん。
 あとこのeメールのプリントアウト(資料4)、持ってる? これを読んでいただければいいんだけど、安楽死の条件っていろいろあるんだよ。オランダは日本と一番対極にあって、ヨーロッパの中でも非常に個人主義的で、個人の責任っていうのに意外にすごくクールな国なんだよ。そういうバックグラウンドがあって、安楽死っていうのは1993年から非合法的ではあったんだけどなんとなく暗黙の了解になっていた。で、その条件は誰でもいいわけではなくて、患者さんにintolerable painがある。これはモルヒネでかなりなんとかなる。それから患者さんがくり返し、くり返し、明らかに「死にたい」と言っている。2人のドクターが同意している。それから親戚も相談をちゃんと受けている。このようないろんな条件があるんだよ。それから「死んだ」ということをちゃんとレポートするということにしたそうです。安楽死に対する公衆の意見はheavily in favor of continuing the present systemというわけで92%もphysician assisted suicideを支持している。92%もだよ。それを1999年に合法化したから、オランダでは医者が助けてくれる「自殺」。それまでは医者はcriminal chargeを受けていたわけ。有罪でもいろいろとあるようだけど、有罪だから、医者としては非常に辛いところがあった。12歳から15歳の子供でもassisted suicideをリクエストできる。親や周りの人の意見なしに自分で決めて、子供でも決断できるんだって、すごいね。かなりクールだよね。
 オランダがかなりクールないくつかの証拠。オランダは個人でやることについてあまり文句を言わない。例えばオランダはマリファナとかのソフトドラッグについては全部合法化されているでしょ。誰でも買うことができる。どこに行けば買えるか知ってる? アムステルダムのコーヒーショップよ。その中では吸っていいけど、外では吸ってはいけない。だからコーヒーショップがアムステルダムだけでも何百軒とあるんだから。行ったことある?
――:
こないだテレビで1度やっていた。
黒川:
で、コーヒーショップにはたぶん「カフェ」とコーヒーショップがある。
――:
怪しそうだ。
黒川:
いや、全然怪しくない。その違いを知っていればいい。で、「コーヒーショップ」で「コーヒーをください」って言うと、「うちではありません」って言われるから。
 それから今、オランダでは売春も合法化されているでしょ。ちゃんと税金を納めさせて、そのかわりそれを合法化して立派な職業だと認めている。そういう意味では個人の責任でやっていることは、なるべく認めてあげましょうという文化。そういうところ、日本では信じられない。だからこういう話があるんだけど。
 オランダが安楽死を合法化できたもう一つすごく大事なことはというと。オランダは、やっぱり自分の主治医っていうのが小さいときからいるんだよ。そういう関係がないとお互いに本当のことがわからないじゃない。東海大学の安楽死事件だってそうなんだよ。だから普段からファミリードクターっていう家族を知っている医者がいれば、そういう場面で医者のほうも患者さんの考えを良くわかる。これがとっても良い。
 日本はそうじゃない。たまたまその病院に来ていて、普段から見てもらっているわけじゃない医師が主治医になる。それに大きな病院っていうのは医者が常に替わることがあるじゃない。だから日本ではそういう長い間のお医者さんと患者さんの関係が築けない。告知の話のときに「外来でがんであることがわかってどうしよう」って言うけど、主治医がいればその患者さんのことを普段から良く知っているから、告知するか、しないかを判断できる。どうしてこうなったんでしょうか? 一つの理由は昭和36年の国民皆保険制度。誰がどこにいってもみんな同じ少ない自己負担でしょ。近所のお医者さんに行っても、大学病院にいっても、研修医が診ても教授が診ても、初診料は同じ。同じだったらどこへでも行ってしまおうって思うじゃない。それに検査をしても自己負担は少ないじゃない。この日本のシステムは経済成長があったから可能だった。
 昭和36年まではみんな大抵近所のお医者さんがいたんです。で、その近所のお医者さんの紹介がないと大学病院なんていう大きな病院にはいけない。なぜかというと、ある程度紹介がないと大学病院へは行けないし、検査もそういうところでしかできないので普通の人はなかなか近づきにくい。まあその頃はそんなに大きな病院はたくさんはないけどね、会社とかにも大学の先生が週に1回、健康管理とかに行ってアルバイトしていた。それはなぜかというと、その時代は健康管理質に大学のお医者さんに来てもらっていることによって、何かあったらその大学病院で検査をしてもらえるという利点があったから。今は会社はそんなことをやりたくないんだよ。だってパートの医師にはお金がかかって仕方がないし、今はみんなどこの病院にでも行けるから。
 だから安楽死はやっぱり大事だと思うけど、それを支える社会、考え方とかも大切です。だけど「死にたい」と言っている人を死なせてあげられないっていうのもかわいそうだよ。日本ではオランダと同じようなことをやって横浜高等裁判所で有罪になっている。アメリカのキボキアンというお医者さんは、苦しんでいて死にたいという意思のはっきりしている人に点滴をして、「自分で押せば、死ねますよ」というのを作ってあげた。もちろん十分にインフォームをしていたにもかかわらず、何回も訴えられて、今までずっと無罪だったんだけど、今度ミシガン州で一応有罪になった。
――:
ミシガン州のみで診療ができないんだそうです。
――:
でも患者さんとその家族には非常に感謝されている。日本ではこんなことが起こったらマスコミからすごいバッシングがあるんじゃないの? だけどむしろ逆の世論を起こせば、案外すっとひろまってしまうかもしれない。日本はそのなびき方がまた激しい、というのもすごいよね。
 それから次のプリント(資料5)。これは『Approaching Death』、「死がちかづいてきた」という本。その中で「physician orders for life-sustaining treatment」、生命維持をしてほしいかという話で、いろいろな例でさ、「もし心臓が止まってしまったらどうする?」って言ったときに、一応蘇生はしてほしいということとか、してはいけなこととか。ここまで書かれてもちょっと情けない。ここまで全部しないといけないかな? って思う。「いつでも変えていいですよ」って書いておいていただけるといいのにね。自分の意識がなくなっちゃうことだってあるわけだし、それから家族がどうするかってこともある。今はお年寄りが多くなってきている。お年寄りが死ぬということと、若い人が死ぬということはかなり違うから、そういう意味でこういうものがますます重要になってくる。もちろん自分で変えてもいいし。アドバンスディレクティブについてはさっき少し説明したね。「How to change "physician orders for life-sustaining treatment"」というのがあってさ、まん中に「Section F,patoent preferences」、これもアドバンスディレクティブ。「court-appointed guardian」なんてなんかすごいよね。だから日本でも患者さんの団体で、「アメリカではこういうことがあるからいい」なんていっているけど、「自分が意識不明になったときにはアドバンスディレクティブなんてかっこいい」とか言われて、ぜひ取り入れるべきだ、などと知ったかぶりして言われても困るんだよね。それが日本のリアリティじゃないかな。
 その次が最近の朝日新聞。「延命治療、望みますか」という記事。下にアンケートがあるけど、本人は延命治療を望む人はすごく少ないんだけど、家族がそうなったときにはいろいろやってくださいという。自分がなったときと、家族がなったときはずごく意識がずれている。本人は「してほしい」と言う人がごく一部で、「してほしくない」人が約80%なんだけど、それを知りながら家族に聞くと、「まあなんとかお願いします」って言うわけなんだ。これもさっき言った昭和36年からの国民皆保険で長く入院していても自己負担が少ないでしょ。だからそういうふうなことを言えるけど、自己負担が多くなったらどう?「そうですね。あと3、4ヵ月でしょうか」「いくらかかりますか」「検査も何もしなくてひと月20万円ぐらいでしょうか」と言われて、「考えます」ということになっても、家族は断れない。なんとなく罪悪感があるから。なんとなくお互いにだんだん変わってくるそのニュアンスをお医者さんは汲み取ってあげないと。特に患者さんが末期がんで非常に痛がっていたり、苦しがっていたときにはどうする? 安楽死事件もそうだったんだよ。この延命治療というのはその患者さんが苦しがっていたりして、家族が見ていても辛い場合にはあまりないかもしれない。ペインコントロールが非常に大事だからね。それはきちんと痛みをなくす、ってことがとっても大事。そのほかに見出しにもあるように「在宅ケアの充実が課題」「遺言のように「死に方」明言を」って、お年寄りがやるんだったらいいけどね。
 それから『On Being a Doctor』(資料6)というのはアメリカの内科学会の本なんだけど、それにドクターや患者さんやいろいんな人がエッセイを書いているんですよ。これを読んでいるとなかなか面白い。これはそのうちの一つで「Awakening」っていって、お医者さんの仕事はやっぱりすばらしいなって思うのは、それがどういう場面かわからないけどお医者さんをしているといろんな人に会うわけ。いろんな人の人生の一部にかかわってくるわけ。その人たちの人生の価値観をなるべく共有できるようにできるだけのことをする。できないことはできないけど。神様じゃないんだから、それでみんな忙しくなってくる。そんなことをいちいちかまっていられないや。何回言っても同じことをぐちゃぐちゃ言っているひとがいる。アルコールをやめなさいって言ってもまた飲んで、食べ過ぎて。いるんだよ、そういう人が。そういうのが3ページの一番下から「I learned that the gray-haired patients that I had once called "Gomers" were people with stories to tell and things to teach」。「Gomers」っていう言葉は普通の人は使わないんだ。医者が使う言葉なんだよ。レジデントが使う言葉なんだ。「おっ、また来たな」っていう意味。そういう患者さんがいるんだよ。でもそのGomersって言っていた人も、実はpeople eith stories to tell and things to teach。だってあなたたちが受け持っている患者さんの話を聞いてみるとすばらしい人がたくさんいる。そうじゃなくても一人ひとりに人生のストーリーがあって、だからその人たちと話をしてみるとものすごくたくさん学ぶものがあって、自分がもっと豊かになる。だからそういういろんな人たちの人生の一部でも共有できるってことは医者のすごい特権だと思うんだ。だからさっき言ったような中小企業のお父さんとかいろんな人がいるんだけど、そういう人たちと一緒に、そういう人たちの人生の一部をよりよいものにして残してあげられたらいいかな、って思う。自分の次の世代にそういうことを伝えていく、周りの人に伝えていく。そういうことで周りにだんだん広がっていくじゃない。そういうのがすごく大事だと思う。だから医者は良い職業だなと思う。良い職業にするかどうかは自分なんだよ。
 まあそんなことで今日は講義が終わって、次は12月2日(土)、9日(土)テーマをまたeメールで少しやりとりしましょう。
――:
みなさん、今回はちゃんとこういう形で現代文明論が変わったのも、ひとえに黒川先生がいろいろとしてくださってこういう形を見せてくれたから、私たちの土曜日があるわけです。というわけでありがとうございました。
黒川:
これを機会に学生のほうからどんどん参加するっていう授業、そういう教育っていうのはいいよね。先生たちにプレッシャーをかけなさい。
――:
すみません。みなさん、あともう一つなんですけど、eメールでビデオのことをちょっと話したんですが、安楽死に関するビデオが手に入っています。私のはオランダの安楽死を撮影したものを人に頼んで借りているものなのですが、ほかにもいろいろとあるそうですのでまたメールで送りますので、もし借りたい人、見たい人がいましたら、ぜひ言ってください。

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