医学生のお勉強

By 東海大学医学部長・黒川清とゆかいな仲間たち
chapter1 安楽死The 3rd week

死を待つ患者さん達にとって、医師は何ができるのか
どのような役割が期待されているのでしょうか

セッションのオリジナルタイトル/The End of Life and Euthanasia

「死に方」を考えて、それを誰かに伝える

――:

私の父は医師なんですけど、父の患者さんで精神科の医者ですら、がんになったときにノイローゼになったという。もうどこまでがどうやって、誰がフォローしてあげるのかって。後のことまで考えても・・・。
でも私は、ちょっと言い方は変なんですが、社長さんとか本当に偉い人、会社を運営している人とかだったら、「あと3ヵ月」っていったら、その人が弱い人であろうと強い人であろうと、やらなければいけないこと、整理しなければいけないことがあると思うんですよね。そういうところも理解して、家族と話し合ってというのは、日本の文化的にもやっぱり仕方がないのかな、って。だからやっぱりさっき言ったみたいにケースバイケースでやるとか。あと「原則的にここは言ってくれる病院」というのを作れば、本当になんかいいんじゃないかな。

黒川清

――:

それはありかもしれない。

――:

私は病棟実習のときに循環器の病棟だったんですが、肺がんの方がいたので、婦長さんに「がん患者さんに対して、この病院では告知とかどのような方針があるんですか?」と質問したんですが、「病院でそんな方針みたいなものを患者さんに押しつけるというのはとんでもない」と最初におっしゃって、「今の現状では、まず患者さんの家族にどういうふうにしたいかと相談している」という話なんですが、私が思うに一番の方法は、本人がどういうことをしてほしいかということ医者が直接聞き取れればいいんですが。

 
看護婦が一番情報をたくさん集められる立場にいると思うので、患者の家族からナースを通して医者にくる。だいたいそういう流れで情報が集まってきますよね。今のシステムではそういうものを通り越して、先に「こういう方針にしよう」というのは絶対に無理なことだし、本人の意思を通せるような形にするには、現状ではできる状態ではない。やっぱりさっき言っていたように、まあそれがどこまで有効性があるかどうかわからないですが、先にアンケートができれば直接医師がそれを見れて、本人の意思に近づける方向っていうのがあると思う。
――:
だいたい人が死ぬのは当たり前なんですけど、その死の場面に関して看護したり、亡くなったらお葬式を出したりするのは、一応家族なのが当たり前だと思うんです。そうすると生前に「自分が死んだ後はこうしてほしい」という死について一番話しをしなければならないのは家族だと思うのですが。普通、自分の親が自分より先に亡くなると思うんですが。
黒川:
確率としてね。
――:
確率が高いと思うんですが、自分の親と死ぬことについて話し合った方はいらっしゃいますか?
――:
告知についてですか?
――:
告知をしてほしいか、してほしくないかを含めて、どういう看護をしてほしいかとか、自分が亡くなった後のこととか。そういう大きい意味で死ということを含めてそのまわりのことを話し合ったことがある方っていらっしゃいますか?
黒川:
けっこうシリアスに話をしているのかな?
――:
でも結局健康な状態で話し合っても、実際にそうなったときとは精神状態が違うから、あまり意味のあることではないと思う。
――:
違うということはもちろん当たり前のことで。死ぬことに関してだけじゃなくって、先のことは誰にもわからないけど、話をするのが無駄ってわけじゃないと思う。
――:
無駄ってこととは、ちょっと違うけど。
――:
でも実際そうなってみないとわからないし、でも実際そうなってからじゃ遅いことだってあるから、例えば交通事故でいきなり亡くなってしまうことだってあるし、その話をする前に、話ができない状態になってしまうこともあるだろうし。日本人ってだいたい死っていうのがタブーみたいな感じで言われてて、あまり表立って話をされていないと思うんです。最近は違うとは思いますが・・・。自分が医師になって患者さんとそういう死の場面にいきあたったときにどうするかという前に、自分の一番身近な家族の方と、まあ限りはないと思いますが、そういう話をしていたら、自分にとっても死について身近に感じられると思う。
黒川:
身近に感じている家族って、兄弟、親、おじいちゃん、おばあちゃん? おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでいない人のほうが多いんじゃないの?年に何日ぐらい会っているの?
――:
別に相手がこの人じゃなければいけないってわけじゃないんですが。
黒川:
そんなに会う機会があるのかな? たまに来て、「おばあちゃん、久しぶり」とか言ってさ。
一つは、あなたが死について話している相手というのが、自分のお母さんとか自分より上の世代、例えば60歳とか70歳とか80歳になっている人たちと、「私がこうなったら変なチューブいれないでね」という話をしているのか。例えば自分の伴侶とか同世代の方、あるいは子どもとかと話をしているのか。かなり違うと思うんだけど。
――:
年上の人とが多いですね。
黒川:
自分より年上の人は自分より先に死ぬと、みんな思っているでしょう。だいたいそうだけど。だからそのときにあなたに見取られるということは、「私が先に死ぬときにはこうしてね」っていうメッセージを残しているわけだ。
だから今の延命医療なんかでも随分そういうのあるよね。お母さんは「あんなになりたくない」と言ってるんだけど、いざそうなってしまうと、家族としては医師に「やらないでくれ」っていうのはとてもしんどいということで、すごくみんな悩んでいるわけ。だって医者は決められないから。患者さんが言ってくれればいいんだけど、そのときにはもう自分ではいえない。「もうやめて、何もしないでください」と家族が言うのも難しい。一つはリビングウィルの問題もでてくると思うんだけど。
――:
死についてはうちの親もあまり話をしたがらなくて。なんか死のことを口にすると死が迎えにくるじゃないですけど、そのような感覚がすごくあったんですが、一昨年と今年に祖母が相次いで亡くなったんです。それで葬式を出す側になって、初めていろいろと自分のことを考えて、親のほうから「自分のときにはこうしてね」「ああしてね」って言うようになったんですね。それで「延命治療がいやだ」とか、そういうことを言うようになって。難しいけど、そういう機会がないと、いきなり「死についてどう思う?」「お葬式どうしてほしい?」とかは、やっぱり口に出せないから。
黒川:
そういうのは話をするきっかけにはなるよね、確かに。身近な人とか誰かのお葬式とか。一緒に住んでいるんだったらそういう機会もあるだろうけど、普段なかなか・・・。

仲間たちの横顔 FILE No.3

Profile

大学卒業後、大学院にて5年間医療の社会的システムについての勉強・研究をしてきました。今後研究を続けていくためには実践的に医療に従事する必要があると考え、医学部に入学しましたが、想像していた以上に「医学」は面白く、そして深淵な学問であることを痛感しています。何事も面白いのが一番なので、現在は「とにかくまずきちんと医者になろう」と謙虚に楽しく過ごしています。

Message

学士入学者はそれぞれ様々なバックグラウンドを持っていることもあって、議論に幅広さと経験に基づく重みがあり、今回の討論は本当に貴重な体験でした。また、取り扱ったテーマは生命や性に関する価値観など、それぞれの「意外性」が露呈されることも多く、皆でよく話し、よく笑ったという印象が強く残っています。ただ、こうしてまとまった形で読み返してみると、唯一の「先生」である黒川先生のお話を「聞き過ぎてしまう」私たち学生の傾向と、悪い意味ではなく経験と知識があまりに豊富かつお話上手なために「話し過ぎてしまう」先生のサービス精神が合致しすぎていたかもしれない・・・と感じました。
これから多くのことを学び、経験を重ねて数十年後、もう一度同じメンバーで討論してみたい気がします。

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