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私の医師としての軌跡と未来
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 本日は私が医師として歩んできた道をお話したいと思います。家庭と仕事をどのように両立してきたかということと、実際の子育てのお話をさせて頂きまして、若い医師のみなさんのこれからの選択の参考に少しでもなれば幸いと存じます。

 私は都立駒込病院で2年間初期研修をさせて頂きました。そしてこの研修の間にアレルギー膠原病科の猪熊茂子先生とお会いしました。猪熊先生は東京大学の医学部を卒業された方ですが、プライベートでは男の子3人をしっかり育てていらして、仕事では都立病院のリウマチ膠原病科の部長として数多くの分野でご活躍されている方です。初期研修という早い段階でこのようなエネルギーのある先生とお会いすることができ、身近に目標となる医師ができるというのは大変なプラスであると思います。

 私は研修2年目で結婚しました。
都立駒込病院の初期研修が終わると同時に女子医大のリウマチ痛風センターに助手として帰局しましたが、この時長男を出産しました。そして翌年長女を出産しました。
 私の場合は産前産後のお休みだけとり、すぐ大学に帰局致しました。
後期研修は医局に在籍しつつ出張助手という形で関連病院を回りました。私の場合は2つの病院で研修しましたが、救急病院で大変忙しい病院でした。当直もこなしましたし、出産直前まで救急病院で働きました。受け持ち患者さんが急変したり、具合が悪いと休日出勤したり、夜も子供連れで出勤するということも何度もありました。今思うと自分ながらよくやったなと関心しています。やはり30代前半の若いエネルギーがあったからじゃないかと思っています。

 女性が仕事と家庭を両立させるのは大変難しく、家族と周囲の方の理解と協力が不可欠になってくると思います。私も結婚するにあたっては夫に「基本的に結婚・出産しても仕事は続けるつもりだ」とはっきり伝えてありましたし、姑や両親にも希望を伝えて理解をえるようにしておきました。子供が生まれてからも最初の1年は関西の姑が同居して月の半分くらいは家で面倒を見てくれ、残りの半分は実家の母が仙台で育ててくれるという状況でした。私がこうして仕事を続けられているのも家族の理解と協力があったからだと日々感謝の気持ちを忘れないようにしています。
【プロフィール】
1989年3月 東京女子医大卒
     5月 東京都立 駒込病院 内科系研修医
1990年4月 結婚
1991年3月 東京都立 駒込病院 初期研修修了
     4月 東京女子医大 リウマチ痛風センター 助手
     5月 長男出産
    11月 新松戸中央病院
1992年5月 長女出産
1993年5月 みかなぎ五反田病院
1994年4月 東京女子医大 膠原病リウマチ痛風センター帰局 助手
1997年6月 東京女子医大 青山病院 膠原病内科助手
1998年6月 国立療養所 村山病院内科
2000年1月 学位取得
     1月 国立療養所 村山病院 内科医長
2002年1月 東京女子医大 膠原病リウマチ痛風センター帰局 助手
2003年7月 講師
  現在に至る
女性医師にとっていつ出産したらいいのかについては色々な意見があります。
一人一人環境も違うわけですし、価値観も違います。最善の時期というのは個人の問題です。人生というのはコントロールがないわけです。あるものを選択するかしないかは同時にできないわけですから、いつがベストかという答えは到底ありません。皆さん自身で考えていかなければいけないと思います。私の個人的な考えとしては、あまり時期をずらさないほうがいいんじゃないかなと思います。例えば「研修が全て修了してからにしよう」とか「博士号をとってからにしよう」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あまり高齢出産にならないほうが、母体のためにも子供のためにもいいのではないかと思います。それと変な言い方ですが、両親が若いうちのほうが私の場合と同じように協力してくれる可能性が大きいわけです。ですから親が元気なうちのほうがいいというのと、やはり自分自身が体力も気力も十分でエネルギーがいっぱいあるときにちょっと大変だけれども子育てもしてしまったほうがいいんじゃないかな、というのが私の個人的な意見です。
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