本日は仕事と子育てのバランスということについて、私自身が四苦八苦しながら医者を続けてきた経験を踏まえてお話ししたいと思います。
はじめに私が仕事をしている病院の紹介をします。私は東京都葛飾区にある葛飾赤十字産院で院長をしております。葛飾赤十字産院は1953年に創立された、日本赤十字社の92病院のうち唯一の産院です。科目は小児科と産科で日本産婦人科学会のホームページの資料からもわかるように、分娩数上位30施設のうち大学関連病院部門では年間2,067のお産を扱っておりトップとなっております。2位は日本赤十字医療センターで、1位、2位とも赤十字関連の病院で占めております。
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生命体の中で絶滅危惧種と呼ばれている動物の話を聞いたことがあると思います。現在ではごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高いと言われるのが、パンダ、近い将来における絶滅の危険性が高い動物はオランウータンだと言われております。では、医療界における絶滅危惧種という視点で考えるとどうでしょう。医療界の絶滅危惧種と言われているのは産科医と小児科医です。
この写真は当院の総スタッフを写したものですが、見ていただくとわかるとおり、その絶滅が危惧されている産科医の病院では、女性が多いです。7年前に私がこの病院に勤め始めたころには女性医師は私ひとりでしたが、以降女性医師が増えてきて今では医師の半数が女性です。そして、今年4月に日本赤十字社創立以降初めての女性院長ということで私が当院の院長を拝命いたしました。私に続いてもっともっと女性の院長がたくさん出てきていただけることを願っております。院長とは言ってもいばっているつもりはまったくありませんし、ただひたすら働いているだけです。
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『彼岸花の鎮魂歌』
著者:大森 安恵先生
糖尿病と妊娠に関する臨床、研究のパイオニア
《略歴》
1932年生まれ
1956年東京女子医大卒業
1991年東京女子医大糖尿病
センター所長
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さて、ここから私が女性医師としてどのように働いてきたかのお話に入ります。
私の紹介の前にこれまでの女性医師の仕事について、恩師である大森安恵先生の著書を紹介いたしましょう。大森安恵先生は1991年に東京女子医科大糖尿病センター所長に就任された、糖尿病と妊娠に関する臨床、研究のパイオニアであります。私も大学時代にたいへんよくご指導いただいたのですが、その際に先生ご自身が執筆された『彼岸花の鎮魂歌』という本を紹介していただきました。
著書に描かれていたのは、全体の医師の中で数パーセント女性医師がいたかいないかという時代の出来事でした。著書の中の一文を紹介いたします。「私に子どもが生まれてくることを家族の誰も歓迎しなかった。私も妊娠初期は、自然流産してくれることを望んで、愚かにも屋上でなわとびをしたりしていた」。この一文だけでも、大森先生の時代の女性医師が壮絶な中で仕事をしていたということがわかります。そのような中でも大森先生は2人のお子さんを立派にお育てになられました。また別のページでは「女性は妊娠、育児という天命を持っており、このハンディを背負って男性と同じ世界で生きるためには、特に医学の世界では、男性より3倍多く働くか、アプガー(スコア)のように女性の特質を生かした仕事をするなどしなければ、お仲間に入れてもらうわけにはいかない」とも書かれております。女性がハンディを背負っているという考えは、私にはありませんでしたし、男性の3倍多く働くということもしてきたつもりはありません。きっと、それは大森先生の時代と私の時代では、状況が変わったということなのでしょう。25年前の女性医師は、本当に壮絶な中で仕事をされていたのだということです。 |
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