私は40代後半に埼玉医科大学放射線医学教室の主任教授に就任しました。最初、「あなたは教授会のレモンスカッシュだ」と言われました。それもつかの間、50代には「あなたは埼玉のマダムサッチャーだ」と言われ、恐れられました(笑)。60代、自ら望んで日本のバーバラー・リーになりたいと思いました。そして今、来たるべき70代に「世界の平敷」と呼ばれるべく、助走しているところです。
皆さんは、バーバラ・リーという人物をご存じでしょうか。あの9.11.の同時多発テロに際して、アメリカ議会上院下院そろって「テロには武力報復を」という決議をした中、たったひとり反対票を投じたカリフォルニア選出の黒人女性下院議員です。私が彼女に共感するのは、「勇気と決断力」。それは、私がずっと大切にしてきたキーワードです。皆さんにも、早く自分のキーワードを見つけていただきたいと思います。
私は医学を学びたいという一心で、大学の医学部に入りました。入学後、授業に満足できず、ほとんどの時間を図書館ですごしていたときに、『The
New England Journal of Medicine』という1冊のジャーナルに出合い、放射線科医になろう、しかも診断医になろうと決めました。当時、ほとんど日本に存在していなかった専門だったので留学を決心、まずは外国語の習得が必要となり、英語、ドイツ語、フランス語を猛勉強して、学生時代をすごしました。思えば、今日にいたるまでのシナリオは、この1冊のジャーナルと出合った医学部4年生のときにほぼ書き上げられ、以降、その想定誤差の範囲内で42.195km、フルマラソンを走り抜けてきたような感じです。
大学卒業後、すぐにアメリカの研修システムに飛び込みました。皆さんが今、新しい制度として期待を寄せているインターン・マッチング・プログラムはアメリカにはずっと以前からあり、私はそれを40数年前に経験しました。 |